イチロー選手の審判との駆け引き
ようやくここまで追いついた。
前述した平林氏のエントリ、過去ログをここまで全部読んできた記憶と照らし合わせると、A-RODに言及したときぐらいしか見かけなかった批判的コメントが多数ついている。しかし、氏の過去ログと野球規則を読んだ身の俺としては、平林氏に説明不足な感はあっても間違っているという印象は受けない。
関係する野球規則を転載する。
九・〇一 審判員の資格と権限
(a) リーグ会長は、一名以上の審判員を指名して各リーグの選手権試合を主宰させる。
審判員は、本公認規則に基づいて、試合を主宰するとともに、試合中、競技場における規律と秩序を維持する責にも任ずる。
(b) 各審判員は、リーグおよびプロフェッショナルベースボールの代表者であり、本規則を厳格に適用する権限を持つとともに、その責にも任ずる。審判員は、プレーヤー、コーチ、監督のみならず、クラブ役職員、従業員でも、本規則の施行上、必要があるときには、その所定の任務を行なわせ、支障のあるときには、その行動を差し控えさせることを命じる権限と、規則違反があれば、規定のペナルティを科す権限とを持つ。
(c) 審判員は、本規則に明確に規定されていない事項に関しては、自己の裁量に基づいて、裁定を下す権能が与えられている。
(d) 審判員は、プレーヤー、コーチ、監督または控えのプレーヤーが裁定に異議を唱えたり、スポーツマンらしくない言動をとった場合には、その出場資格を奪って、試合から除く権限を持つ。審判員がボールインプレイのとき、プレーヤーの出場資格を奪った場合には、そのプレイが終了してはじめてその効力が発生する。
さて、それでは平林氏のブログの内容を読み解く。
さて、先日のMLBの試合で、イチロー選手に対しての判定で、彼が審判に対して挑発的なコメントをしていました。確かに、判定は微妙で、イチロー選手に対して不利な判定が続きました。本人の気持ちは、痛いほどよくわかります。彼のコメントが、アメリカメディアに出たのかどうかはわかりませんが、審判サイドに伝わっていたとしたら、間違いなく報復されます。
平林氏のエントリ内容を読み解くと、イチローのコメントは、試合後、日本メディアに向けて発信したと受け取れる。このイチローのコメント、野球規則の何に違反するのだろうか?
俺は、何にも違反しないと思う。
そう。野球規則では、試合後のコメントについての規定は一切ない。言い換えれば、試合後どんなに審判を侮辱しようと自由な訳だ。
しかし、本当に自由なのか?
俺は違うと考える。
もし、試合中にこのような発言をしたのであれば、即刻退場、そして出場停止処分&罰金となるだろう。しかし、試合後ならばそんなことにはならない・・・・・・なんていう理屈が通じるだろうか? そんな理屈がまかり通ればいくら試合中に審判員が
競技場における規律と秩序を維持しようとしても、裏でおおっぴらに審判批判をされていたのでは、規律と秩序なんて守れやしない。もちろん、
スポーツマンらしくない言動にも値する。野球規則に縛られない試合後だからといって、イチローの取った行為が許されて良いのであろうか?
答えは当然、『否』である。
ここまでくればおわかりであろう。平林氏の言う
審判サイドに伝わっていたとしたら、間違いなく報復されます。というのは、こういう経過を辿り導き出された言論なのではなかろうか。タイトルにもしたが、審判の権威を守るための報復を受ける可能性がある。俺としては、実に納得のできる経緯である。イチローは謝罪すべきである。
日本の審判員の権威は低いと感じる。それは、古くは金田正一や大沢啓二、俺の記憶している限りでも星野仙一などいわゆる武道派監督が審判に暴行を働いたり、選手が公然と審判の裁定に異議を唱えたりしている。が、昨日のエントリで述べたように、すべて退場になっても文句を言えない行為である。そして、我々素人がそれを真似する。「あの人がやってるから俺らもやっていいんだ」と誤解する。(恥ずかしい例。)非常に良くない悪循環である。平林氏のエントリのコメント欄を見ても、上記野球規則および昨日挙げた野球規則を知らない者が多すぎる。(俺もこないだまではそうだった。)野球好きな全国1億3000万の人々よ。知れ。正しい野球のルールを。
そしてプロ野球選手たちよ。アンタたちの一挙手一投足を俺たちは見ている。アンタらが正しく野球規則に則った行為をしないと、全国1億3000万のファンが、子供たちが、間違った行為を真似する。今一度、野球規則をきちんと頭に入れて行動していただきたい。
(b)本規則を厳格に適用する権限を持つとともに、その責にも任ずる。
というのであり、試合後のコメントが野球規則に違反しないのであれば、イチローは間違っていないということになってしまいます。
そもそもコメント欄では、審判は自らの権威を維持するために、不誠実で構わないというような平林氏の言い分に対する批判がなされているのではないでしょうか?
あるいは、小川さん自らも平林氏と同様にお考えでしょうか?
彼自身、次エントリーでこのように書いています。
>真実と違う判定だったとしても、審判が見たままが全てであるのです。(勿論、審判が精一杯努力して公平に判定することが前提です。)
であれば、審判による報復など許されるはずはないのですが…。
ちなみに、彼は自身の著書で悪びれることなく自身が行なった報復について紹介し、自分を棚上げし、選手の側の人間性を問題にするという暴挙に出ています。
Wikipediaに詳しく書いてあります。
もっとも、出典が怪しいものもありますが……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%96%87%E5%BE%8B
この中に、「1.4 ペナルティー」という項目があり、以下のようにあります。
> 試合終了の際の行為に対しては次の試合で実行される。このことは選手のみならず監督、チームオーナー、審判員そして観客も承知している。
このことから、「試合終了後に」「九・〇一(d)に違反した」イチローは、次の試合で、審判から「ペナルティー」を受け、そのことは「選手のみならず監督、チームオーナー、審判員そして観客も承知している」と考えています。
> 審判は自らの権威を維持するために、不誠実で構わないというような平林氏の言い分
とのことですが、私は「野球の不文律」を知った上で氏のブログを読んでいましたので、氏のエントリをそのようには読み取れませんでした。1つ上の段落の通りです。
> 私は、イチロー選手への何らかの制裁があっても良いかと思います。しかし、それは、審判による報復ジャッジであっては絶対になりません。
私は、「審判による報復ジャッジ」を皆が承知しているから、問題ないと考えています。
不文律というのを持ち出して
>野球のルールを知らない輩が多すぎて困る。
とまでぶち上げるのはやりすぎだと思うのですよ。さすがにこれをルールというのは…。
小川さんの理論も不文律だったり明文化されたルール(九・〇一(d))だったりをツギハギしてご都合主義という感が否めません。
また、実際平林氏ですら報復ジャッジの理を示せないことを自覚しているフシがあります。彼は次エントリーで
>アメリカにしろ日本にしろ、我々、審判を職業としている誰一人として、審判に与えられた権力を傘に、いい加減にジャッジしたり、偏見を持ってジャッジしているものはいません。
と書いてます。
これは明らかに「イチロー選手の審判との駆け引き」で書いていることに反しますが、やはり「審判に与えられた権力を傘に、いい加減にジャッジしたり、偏見を持ってジャッジ」すること(→報復ジャッジ)は、普遍的に良くないこととであると考えていると受け取れないでしょうか?(ただ、3年半後に出版される自著では、パ・リーグ審判員時代に自らが継続的に報復ジャッジをやっていたことを悪びれる風もなく明かしているのですが)
で、不文律を持ち出しての擁護ですが、これは「皆やってるから…」という程度にしかならないように思います。談合のようなもので、やってる側からすれば当たり前になってしまい感覚が麻痺し、自分がとんでもないことをやってるという自覚を失うという感じでないでしょうか。本人にとっては当たり前でも、外から見る人にはやはりおかしいのです。
この部分は、
>日本球界ファンでもあまり馴染みがありませんが、野球の不文律というものがあります。
に対して明らかな矛盾があります。「日本球界ファンでもあまり馴染みが」ないのであれば、「観客」が「承知している」とは到底考えられません。
>そしてプロ野球選手たちよ。アンタたちの一挙手一投足を俺たちは見ている。アンタらが正しく野球規則に則った行為をしないと、全国1億3000万のファンが、子供たちが、間違った行為を真似する。
というなら、審判にも「野球規則に則った行為」(不文律によるものでなく)を求めるべきではないでしょうか?もちろん審判への注目度は選手へのそれに比べてはるかに低いでしょうが、良い影響を与えるとは思えません。彼のしていることは単純に横暴です。
彼の自著には「審判は選手よりもさらに人間性が大事」とあります。私は彼の人間性を全く信用できませんが、これも真当なことを言っています。これは、「イチロー選手の…」彼が書いた「だれもわざとやったなんていいませんが、わからないように、いくらでも際どい判定を不利に判定することはできます」ということを合わせて考えるとよくわかります。競技の性格上、審判にそういうことができてしまうからこそ、審判の人間性が大事なのだと思います。
彼は、次エントリーで「審判が見たままが全て」とも書いています。これも、明らかに「イチロー選手の…」で書いたことと明らかに矛盾しますが、これを単独で取り上げれば真当なことを行っています。「審判が見たままが全て」つまり、ジャッジに報復という要素を入れてはいけないのです。
んー、反しないと思います。なぜならば、
> 九・〇一(c) 審判員は、本規則に明確に規定されていない事項に関しては、自己の裁量に基づいて、裁定を下す権能が与えられている。
とあります。
九・〇一(c)を「本規則を厳格に適用」すれば、不文律も、ペナルティーとしての報復ジャッジも、野球規則に則った行為であると思います。
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> > 日本球界ファンでもあまり馴染みがありませんが、野球の不文律というものがあります。
> に対して明らかな矛盾があります。「日本球界ファンでもあまり馴染みが」ないのであれば、「観客」が「承知している」とは到底考えられません。
とありますが、当時、平林審判員はMLB傘下マイナー、イチロー選手はMLBの選手です。
別のエントリやツイッターなどで良く書くことがありますが、私は「ベースボール(おもにアメリカ)」と「野球(日本)」は、似て非なるものだと思っています。(ボール・球場・ストライクゾーン・不文律など)
で、「野球」ファンが「ベースボール」の不文律を知らないのは、仕方のないことだと思っています。
多くの日本人が「承知している」のは「野球」です。
該当wikipediaを見ると、主に「ベースボール」における不文律が書かれています。出典が英語書籍だからそう思っています。
従って、平林氏・イチロー選手が活動する「ベースボール」における不文律を、「野球」の「観客」が「承知していない」ことは、矛盾しているとは思いません。
いくらなんでもそれは無理があるように思います。
「自己の裁量に基づいて、裁定を下す権能が与えられている」のは、「本規則に明確に規定されていない事項」です。例えば、イチロー選手の二盗の場面は、野球規則の7.00走者にて「明確に規定」されているわけです。
ところで、報復ジャッジが正当だと審判が本気で思っているなら、もっと堂々と露骨にできるし、やるべきだと思うのですが。「際どい判定を不利に判定する」なんてやり方では、単なるミスジャッジかもと思われてしまうかもしれません。これでは、悪質な行為に対する抑止力にはなりません。メンバー表に名前を見つけら即退場にするくらいのことをすべきだと思うのですが。
は、厳密にはまだ報復ジャッジでは無いですが、まぁ仮に、イチロー選手の発言の後の試合で、同じシーンが起こったとすると、七・〇一と九・〇一(c)両方に該当します。このようなケースにおいて、「どちらが優先されるか」は、規定されていなかったと記憶しています。(今すぐ野球規則を全部読み直す時間や、探し出す時間はないので「記憶」です。)このような場合、どちらを採用するかは、九・〇一(c)に書いてある通り「自己の裁量に基づいて、裁定を下す」となります。
> 「際どい判定を不利に判定する」なんてやり方では、単なるミスジャッジかもと思われてしまうかもしれません。これでは、悪質な行為に対する抑止力にはなりません。
MLBでは、皆が承知しているのですから、普通は誰か(チームメイトかコーチか監督か)がイチローに釘を刺すでしょう。結局、充分な抑止力になると考えます。
一方、日本では、仰る通り、抑止力にはならないでしょう。いくつか前のコメントで書きました通り、「野球の不文律」は、日本ではあまり知られていませんので。
> メンバー表に名前を見つけら即退場にするくらいのことをすべきだと思うのですが。
MLBについては、上記の通り、そこまでしなくても充分な抑止力になりますので不要でしょう。
それ以外の「野球の不文律」への理解が足りない国の場合、理解が足りないので、揉めるでしょうね。個人的には、Titan351さんの案に大賛成なのですが。
その通りです。勘違いしていました。
>七・〇一と九・〇一(c)両方に該当します。
九・〇一(c)の拡大解釈のしすぎだと思います。「本規則に明確に規定されていない事項」というのは無数にあるわけで、そういった何らかの要素を取り出せば、九・〇一(c)をあらゆる場面がに適用できることになります。
ここから先は、試合外でのジャッジ批判をどの程度重く考えるか(九・〇一(c)により何か特別な裁定を下す程のことか)という判断になりますが、「セーフに見えたものをアウトと判定する」ということは、ちょっとやそっとの理由で許されてはならないと思います。
>MLBでは、皆が承知しているのですから、普通は誰か(チームメイトかコーチか監督か)がイチローに釘を刺すでしょう。結局、充分な抑止力になると考えます。
そう言い切れるでしょうか?きわどいコース、タイミングを不利に判定するというようなコソコソとしたやり方ではなく、明白な形で示したほうがより確実です。「充分」というのは、それ以上のことをあえてやらない理由としては、それだけでは不充分です。年収500万で充分だとしても、それだけではあえて年収1000万を拒否する理由にはならないのと同じ理屈です。
で、そもそも私がいいたかったことは、「報復ジャッジをどのような形でやるべきか」ではありません。「報復ジャッジは正当だと審判が思っているなら、堂々とやれるし、やるべきだ。そうしないのは、審判が後ろめたさを感じているからだ。当の審判ですら後ろめたさを感じているような行為が正当であるはずがない」ということです。
>MLBについては、上記の通り、そこまでしなくても充分な抑止力になりますので不要でしょう。
MLBなら不文律への理解があるという根拠は何かあるのでしょうか?
「日本の野球ファンが不文律を知らないことアメリカのベースボールファンが不文律を知っていることが両立するというのは理解できます。また、「選手のみならず監督、チームオーナー、審判員」が承知しているというのは、なんとなくですが分かる気はします。しかし、「観客」は必ずしもそうは言えないのでは?
何しろ「不文律」ですから野球規則には書いてありません。平林氏いわく「勿論、だれもわざとやったなんていいません」とのことで、知らない観客もかなりいそうです。というより、たった一人でもいるならその時点でアウトです。
明白な形での報復であれば、仮に不文律を知らない人がいたとしても、大丈夫です。「〜に対する報復として、〜と裁定します」と宣言すれば、不文律を知らない人も理解できます。よりはっきりした形で示すにこしたことはありません。
現状で存在するとされる報復ジャッジは単なる憂さ晴らしではないでしょうか?これを正当化するために九・〇一(c)を使うというのは、さすがに屁理屈としか感じられません。
んー、「そうしないのは、審判が後ろめたさを感じているからだ」が良く分かりません。Titan351さんが以前のコメントで仰っていた
> > メンバー表に名前を見つけら即退場にするくらいのことをすべきだと思うのですが。
に対し、私は
> 個人的には、Titan351さんの案に大賛成なのですが。
とコメントしました。しかし、何故これがなされないのかについては、
> 「野球の不文律」への理解が足りない国の場合、理解が足りないので、揉めるでしょうね。
とコメントしました。文体のとおり、「揉める」というのは推測です。証拠はありません。改めて申しますが、「即退場」が何故なされないのかは分かりません。「後ろめたさを感じているから」かもしれませんし、違うのかもしれません。「揉めるから」かもしれませんし、違うのかも知れません。「後ろめたさを感じているから」という推測を前提に「当の審判ですら後ろめたさを感じているような行為が正当であるはずがない」と主張されましても、「はぁ……」としか申し上げようがないです。
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> MLBなら不文律への理解があるという根拠は何かあるのでしょうか?
私の根拠としましては、前述の通りWikipediaに書いてあるから、そうなのだろう、ぐらいです。少なくともこの記事を書いた時には「観客も承知している」のくだりがありました(今、編集履歴を見てみたところ、確かに載っていました)。少なくともアメリカでは書籍になったりしているのですから、知る機会はままあるのではないでしょうか。日本では、野球の不文律について書かれた本など、見かけたことがありません。
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> 「観客」は必ずしもそうは言えないのでは?
> 何しろ「不文律」ですから野球規則には書いてありません
(snip)
> よりはっきりした形で示すにこしたことはありません。
有名なところで「チップ」があります。ギャルソンには何%払うだの、何か持ってきて貰ったら1$払うだの、面倒なことこの上ないです。ぜひ「よりはっきりした形で示」して欲しいです。しかし、これも何故かなされません。旅行ガイドブック見て知ったり、先輩に教わったりして初めて知るところとなります。
http://www.tt.em-net.ne.jp/~taihaku/sightseeing/tips/rule.html
これは自動車運転の例ですが、Googleで軽く調べた限りでは、「I.赤信号右折可(例外あり)」は法律ですが、「III.ALL WAY STOP の交差点は早い者順」「IV.ロータリーは反時計回り、出る車両優先」あたりは法律なんでしょうかね。読んだ感じだとお、雑なルール過ぎて「法律」って感じがしないです。英語が読めれば、明確に根拠を示せるのでしょうけどね……。
で、私は日本人なので、「はっきりした形で示」さない「不文律」を、なぜ欧米の人達が好むのか分かりません。しかし日本の「野球規則」は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%AA%8D%E9%87%8E%E7%90%83%E8%A6%8F%E5%89%87
> 内容は基本的にアメリカにおけるプロ野球ルールである "Official Baseball Rules" を翻訳したもの
です。そして「野球の不文律」についても、チップ同様、なぜか「はっきりした形で示」してくれません。(※野球規則に載ってない、という意味です。)チップにせよ、自動車の云々にせよ、そして野球にせよ、「不文律」を「はっきりした形で示」さないのは、欧米のお国柄かなんかじゃないでしょうかね。
私の感覚ですと、チップなんかもそうですが、アメリカ(や、アメリカ発祥のベースボール)には、一般人でも普通に知ってる「不文律」が多数あり、またアメリカは、それをヨシとする文化なのだろうと感じます。一方、それは「ルール厳守」をヨシとする日本人的には、理解し難いものです。
私は後者ですし、おそらくTitan351さんも後者ではないかと感じます。
で、私は、「野球の不文律」に対して、「そういうモンなんだろう」と思っています。だって、納得できないですもん不文律。Wikipediaに書いてあるの見りゃ理解はできるけど、一部、到底納得はできないものがあります。しかし、まぁそういう「不文律」が、現実にあるワケです、ベースボールに。これを論理的に理解かつ納得することは、私には不可能です。「アメリカの文化的にそういうモンなんだろう(一部、私は納得できないけど)」と思うより他に手がありません。
一応、規則に沿うよう理由付けしてみましたが、まぁこのあたりは
> 小川さんの理論も不文律だったり明文化されたルール(九・〇一(d))だったりをツギハギしてご都合主義という感が否めません。
とか
> いくらなんでもそれは無理があるように思います。
とか
> 九・〇一(c)の拡大解釈のしすぎだと思います。
とかご指摘の通り、「まーそう受け取れんこともないわなぁ……」と思います。私にも納得できない「不文律」を「野球規則」に当てはめてみた結果が「ツギハギしてご都合主義」なワケですからねぇ。
> 特に勝負に負けたり、あるいは負けつつある相手をさらに貶めることなく、敬意を表するためである。また、既に勝敗が決している試合で記録が乱造されることを避けるためである。
おお、なんか随分シンプルに理解できるようになりました。「不文律を破る行為」をザックリまとめると「相手を貶める、敬意を表さない」ですね。
そうすると、「選手のみならず監督、チームオーナー、審判員そして観客」がイチローの発言を新聞などで目にしていれば、際どい判定がイチロー不利になっても「あー、アレなー。侮辱だよなー」と、分かりやすくなるのではないでしょうか。また、これをもってして、
> MLBなら不文律への理解があるという根拠は何かあるのでしょうか?
の根拠となるのではないでしょうか。
「揉めるから」「そうしない」というのは、すなわち「後ろめたさを感じている」ということではないでしょうか。さもなくば、揉めたとしても、九・〇一(c)を適用した旨や自分がどのように考えそのようなジャッジをしたのか説明すればよいということになるはずです。
報復ジャッジの件では、審判自身が九・〇一(c)の適用を妥当と考えていないから、公にそのような説明をすることができないとしか考えられないのですが。
私は、「堂々とやれるし、やるべきだ」と書きましたが、やらない理由として、「揉めるから」では通らないことは分かりますよね?
九・〇一(c)をむやみに適用されるとなんでもありになってしまいます。これを適用するなら、その旨を説明するというのは審判としての義務だと思います。揉めるかもしれませんが、それを受け止めるのも仕事のうちだと思います。
>私の根拠としましては、前述の通りWikipediaに書いてあるから、そうなのだろう、ぐらいです。
Wikipediaを見る限り、不文律はMLB特有のものとはしていないようですが。「観客も承知している」のくだりも、特にMLB、NPBを区別してはいません。
>少なくともアメリカでは書籍になったりしているのですから、知る機会はままあるのではないでしょうか。日本では、野球の不文律について書かれた本など、見かけたことがありません。
Wikipediaの出典にも日本のものが幾つかあるようですが。また、最近では、『プロ野球タブーの真相2012年版』P.42〜45球界に蔓延る「暗黙の了解」というのがあります。
結局日米とも、知っている人は知っているという程度ではないでしょうか。
>チップにせよ、自動車の云々にせよ、そして野球にせよ、「不文律」を「はっきりした形で示」さないのは、欧米のお国柄かなんかじゃないでしょうかね。
>アメリカ(や、アメリカ発祥のベースボール)には、一般人でも普通に知ってる「不文律」が多数あり、またアメリカは、それをヨシとする文化なのだろうと感じます。
慣習の類は程度の差はあれどこへ行っても存在しているものと思います。
e.g.御中元、年賀状
Wikipediaでも、(日本では)(日本の場合)という例が紹介されている一方で、(アメリカでは)(アメリカの場合)というものはないのですから、「不文律」は日本の方が多いとすら言えるかもしれません。
また、私の印象では「空気を読めない」人が白い目で見られるというのは日本で多く生じるケースのように思います。
>「野球の不文律」に対して、「そういうモンなんだろう」と思っています。だって、納得できないですもん不文律。
>ご指摘の通り、「まーそう受け取れんこともないわなぁ……」と思います。私にも納得できない「不文律」を「野球規則」に当てはめてみた結果が「ツギハギしてご都合主義」なワケですからねぇ。
であれば、
>野球のルールを知らない輩が多すぎて困る。
>平林氏のエントリのコメント欄を見ても、上記野球規則および昨日挙げた野球規則を知らない者が多すぎる。(俺もこないだまではそうだった。)野球好きな全国1億3000万の人々よ。知れ。正しい野球のルールを。
というのは、言い過ぎてないでしょうか?
>不文律を破る行為」をザックリまとめると「相手を貶める、敬意を表さない」ですね。
>これをもってして、
>>MLBなら不文律への理解があるという根拠は何かあるのでしょうか?
の根拠となるのではないでしょうか。
これ、「"MLBなら"不文律への理解があるという根拠」にはならないですよね。
>
> 「揉めるから」「そうしない」というのは、すなわち「後ろめたさを感じている」ということではないでしょうか。
繰り返しになりますが、それが理解できません。理由は、以下(前のコメント)の通りです。
> > 「後ろめたさを感じているから」という推測を前提に
「後ろめたさを感じている」と断定された根拠は何でしょうか。なお、以下が根拠でしたら、それは否定させて頂きます。
> 九・〇一(c)を適用した旨や自分がどのように考えそのようなジャッジをしたのか説明すればよいということになるはずです。
なりません。野球規則に則って判定された事柄に対して、審判は1つ1ついちいち公に説明を行う義務はありません。野球規則を流し読みしてみましたが、見当たりませんでした。
> 報復ジャッジの件では、審判自身が九・〇一(c)の適用を妥当と考えていないから、公にそのような説明をすることができないとしか考えられないのですが。
「公にそのような説明をする」義務が、野球規則上ありません。
> 九・〇一(c)をむやみに適用されるとなんでもありになってしまいます。これを適用するなら、その旨を説明するというのは審判としての義務だと思います。
「その旨を説明する」「審判としての義務」が、野球規則上ありません。
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> > 私の根拠としましては、前述の通りWikipediaに書いてあるから、そうなのだろう、ぐらいです。
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> Wikipediaを見る限り、不文律はMLB特有のものとはしていないようですが。
あれ? おかしいな・・・と思ってログを見ていましたら、私がこの元記事を書いた頃の版にはあった記述がなくなっていました。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%8E%E7%90%83%E3%81%AE%E4%B8%8D%E6%96%87%E5%BE%8B&oldid=25445725
こちらでは、冒頭でMLBと限定されてあります。過去の記憶(↑の版)と最新版とで異なっていますね。↑の版では、冒頭でMLBと限定してありますし、「このことは選手のみならず監督、チームオーナー、審判員そして観客も承知している」の記述もあります。また、出典(Wikipedia的に言うと「外部リンク」)でも、洋書および洋書を(意味的に)翻訳したサイトしか載っておりません。以上の事から、
> > 私の根拠としましては、前述の通りWikipediaに書いてあるから、そうなのだろう、ぐらいです。
> > 少なくともアメリカでは書籍になったりしているのですから、知る機会はままあるのではないでしょうか。日本では、野球の不文律について書かれた本など、見かけたことがありません。
と主張をしました。ということで、私がこの元記事を書いた頃の版では
> 結局日米とも、知っている人は知っているという程度ではないでしょうか。
ということはなく、日本はさておき(私の印象だと知っている人は知っている程度)、MLBでは「このことは選手のみならず監督、チームオーナー、審判員そして観客も承知している」となります。(自分で序盤のコメントに、Wikipedia最新版を根拠URLとして提示しておきながら、実は過去版でしたテヘペロ、についてのお叱りについては、正直スマンカッタ、としか申し上げようがないです。ううう。)
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> Wikipediaでも、(日本では)(日本の場合)という例が紹介されている一方で、(アメリカでは)(アメリカの場合)というものはないのですから、「不文律」は日本の方が多いとすら言えるかもしれません。
まぁコレについては根拠を私も示せないのですが、わざと仰ってますかね? 野球ファンな私の印象では、(日本では)(日本の場合)とついているものは、日本の不文律、他は概ねMLBの不文律(全部とは言わない)、というカンジですけどね。まぁ、印象っちゃあ印象なんで根拠示せませんが……。(ちなみに、「わざと仰ってる」と思ったのは、「「不文律」は日本の方が多いとすら言えるかもしれません。」と文末をボヤかしてあるからです。そんなワケねぇけど、って思っていながら仰ってません?)
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> > 野球のルールを知らない輩が多すぎて困る。
> > 平林氏のエントリのコメント欄を見ても、上記野球規則および昨日挙げた野球規則を知らない者が多すぎる。(俺もこないだまではそうだった。)野球好きな全国1億3000万の人々よ。知れ。正しい野球のルールを。
>
> というのは、言い過ぎてないでしょうか?
そうですか? 納得できようが納得できなかろうが、ルールはルールでしょう。また、たびたび私は旧HP、当ブログ、Twitterなど各所で主張していますが、日本の野球のルールとMLBのルールは微妙に異なっていることを(日本野球界の)ダメな点だと思っていて、世界共通ルール(≒MLBルール)に則すべきだと思っていますから、ルールも不文律も、MLBのそれを知れ!則れ!という主張は、まったく言い過ぎだとは思いません。もっとも、「たびたび〜思いません」のくだりがこの元記事には無いので、元記事だけを読んだら、唐突に感じられるかな、言葉足りねぇかな、とは思いました。
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> > 不文律を破る行為」をザックリまとめると「相手を貶める、敬意を表さない」ですね。
> > これをもってして、
> > > MLBなら不文律への理解があるという根拠は何かあるのでしょうか?
> > の根拠となるのではないでしょうか。
>
> これ、「"MLBなら"不文律への理解があるという根拠」にはならないですよね。
そうですね。なんか勘違いしていたようです。失礼しました。
小川さんの見立てでは、審判と選手の信頼を損なう行為への制裁という目的をもって行われている行為であって、揉めようとも何ら臆することなく報復ジャッジをやって問題ないわけです。それをあえて、判断が微妙な場面でやる理由はないわけです。なぜなら、報復ジャッジだったのか、本当に審判にはアウトにに見えたのかは審判本人にしかわからないわけですから。これじゃ、制裁としては十分に機能しないわけです。どのような場面で報復ジャッジをやるかは、審判次第なわけで、これをあえてはっきりしない場面でやる理由がないわけです。
となると、考えられるのは…、ということです。
>「その旨を説明する」「審判としての義務」が、野球規則上ありません。
日本の野球では、実際にマイクを使った説明が行われているので、勘違いしていましたが、確かに野球規則にはありません。つまり、ああいった説明は義務ではないが、あったほうがよいと判断された場合に行われているものに過ぎないというものかと思います。
また、『超常識のメジャーリーグ論』によればMLBではそもそも説明は行われないとのことなので、この点に関してはこちらの不見識でした。
>私がこの元記事を書いた頃の版にはあった記述がなくなっていました。
了解しました。
>まぁコレについては根拠を私も示せないのですが、わざと仰ってますかね?
コメントした時点では一つ一つを吟味していなかったですが、今から考えると、日本限定とはしていないものには明らかにNPBには当てはまらないものがいくつもあります。これがアメリカ限定なのであれば、確かにアメリカの方が多くなりそうです。
>そうですか? 納得できようが納得できなかろうが、ルールはルールでしょう。
野球規則にない以上これをルールと言い切ってしまうのは明らかに言いすぎです。ルールを小川さんが解釈したものに過ぎません。
> (長いので省略)
やはり「想像」の域を出ていませんね。根拠たりえません。
前述のWikipedia「野球の不文律」の「ペナルティー」の項に、大きく2つのペナルティーの与え方が載っています。
投手から打者へのペナルティー:故意死球、ただし「腰から下」という不文律あり
打者から(DH制のため打席に入らない)投手へのペナルティー:空振りのバットを飛ばす
ペナルティーの与え方にも不文律があります。少なくとも、「いきなり殴りかかる」だとか「プレイの前にボールを投げつける」だとか「いきなりバットを投げつける」だとか、そういうのは許されていないのでしょうね。
さて、肝心の、審判から選手へのペナルティーについての記載はありませんね。存在しないのでしょうか? 私は、存在しないとは考えにくいと「想像」します。ここにも、何かしらのペナルティーがあり、かつ、その与え方にも不文律があると「想像」します。
また、選手間でのペナルティーは、「手が滑って死球」「手が滑ってバットが飛んでいく」とどう区別するのでしょうか。選手間でのペナルティーは「制裁として十分に機能」しているのでしょうか。「いきなり殴りかかる」だとか「プレイの前にボールを投げつける」だとか「いきなりバットを投げつける」だとかのほうが、「手が滑った」と言い訳できるケース、すなわち「あえてはっきりしない場面でやる」よりも「制裁として十分に機能」しますよね。しかし、そうではなく、「あえてはっきりしない場面でやる」わけです。何故でしょうかね。私には、「そういう不文律だから」としか答えが浮かびません。
> どのような場面で報復ジャッジをやるかは、審判次第なわけで、これをあえてはっきりしない場面でやる理由がないわけです。
不文律としてあるのかもしれませんよ? 検証なさいましたか?
あるいは、選手間の報復同様、「あえてはっきりしない場面でやる」不文律なのかもしれませんよ? 検証なさいましたか?
何にせよ、「はっきりしない場面でやる理由」は、平林氏のブログにも(確か)書いてありませんし、私も知りません。「何故しないのか」、様々な理由が考えられます。後ろめたいから? 揉めるから? 野球規則に書いてあるから? そういう不文律があるから? これらの検証をすっ飛ばして「後ろめたいから」に断定していらっしゃるのを「想像」と呼んで、根拠たりえない、と言っている訳です。
さて、当然ながら、端から順に可能性を潰していくのは不可能です。では、どうすればはっきりするかというと、これはもう、審判員へぶつけるのが手っ取り早いでしょうね。詳しく調べていませんが、どなたか日本の審判員が、ブログでコメント欄を開いているか、Twitterをしているか、あるいは、アメリカのジム・エバンス審判学校へ問い合わせるなどすれば、確定するのではないでしょうか。
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> >そうですか? 納得できようが納得できなかろうが、ルールはルールでしょう。
>
> 野球規則にない以上これをルールと言い切ってしまうのは明らかに言いすぎです。ルールを小川さんが解釈したものに過ぎません。
野球規則と不文律、両方を合わせて「ルール」と言っていますが、その点は把握されていますでしょうか?
また、「明らかに言いすぎ」なのは、「ルール(審判の報復判定、ですよね?)を小川さんが解釈したもの」が誤りであったときです。現時点では、私の意見に誤りがあったとは思っていません。私の意見が「明らかに言いすぎ」かどうかは、上記の点が解決すれば、自ずと答えが出るでしょう。
>彼のコメントが、アメリカメディアに出たのかどうかはわかりませんが、審判サイドに伝わっていたとしたら、間違いなく報復されます。
その上で、その不文律の正当性が問われているのです。つまり、不文律の正当性の根拠として、その不文律そのものの存在を示しても無意味なのです。
以前書いたことをもう一度書きますが、平林氏のエントリーにはこうあります。
>真実と違う判定だったとしても、審判が見たままが全てであるのです。(勿論、審判が精一杯努力して公平に判定することが前提です。)
見たままが全てである以上、報復ジャッジを正当化しえません。
また、報復ジャッジが正当なものであれば、平林氏の以下の言い分もおかしなものです。
>だれもわざとやったなんていいませんが
やってよいものと合意が形成されていれば、わざとやったと言って問題ないはずですが、なぜそんな姑息なやり方をするのか理解できないのです。
>野球規則と不文律、両方を合わせて「ルール」と言っていますが、その点は把握されていますでしょうか?
繰り返しますが、不文律そのものの正当性が問われているのです。その正当性の根拠として、不文律自体の存在を示しても無意味です。
ですが、野球規則九・〇一(c)を根拠とするなら、一応の根拠たり得ます。私には、その解釈の仕方にかなりの無理が生じていると思えますし、「知れ。正しい野球のルールを。」とまで言うには、根拠として圧倒的に弱すぎると感じましたが、小川さんの中では「私の意見に誤りがあったとは思っていません」とのことで、この点については了解しました。
>納得できようが納得できなかろうが、ルールはルールでしょう。
>野球規則と不文律、両方を合わせて「ルール」と言っていますが、その点は把握されていますでしょうか?
「納得できようが納得できなかろうが、ルールはルール」とまで言う以上、そのルールは、文書化されていなければなりません。例えば、路上では、制限速度に違反してでも、周囲の車両のスピードに合わせるのが不文律ですが、警察に違反とされたら、不文律がと言っても通りません。道交法つまり、文書化された規則はそれくらい強く、また、文書化された規則だからこそそれくらい強いのです。
> 以前書いたことをもう一度書きますが、平林氏のエントリーにはこうあります。
>
> >真実と違う判定だったとしても、審判が見たままが全てであるのです。(勿論、審判が精一杯努力して公平に判定することが前提です。)
>
> 見たままが全てである以上、報復ジャッジを正当化しえません。
そうです。「見たままが全て」です。
「見たまま」を「ルール(野球規則と不文律)に照らし合わせて、セーフかアウトか判定する」のでしょう。
なぜ
> 見たままが全てである以上、報復ジャッジを正当化しえません。
となるのか、やっぱり分かりません。
Titan351さんの見解ですと、「見たまま」を「何に照らし合わせて判定する」のですか?
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> また、報復ジャッジが正当なものであれば、平林氏の以下の言い分もおかしなものです。
>
> >だれもわざとやったなんていいませんが
>
> やってよいものと合意が形成されていれば、わざとやったと言って問題ないはずですが、なぜそんな姑息なやり方をするのか理解できないのです。
こちらについては、私も「さぁ?」というカンジです。前にも申しましたが、いきなり退場でも構わないと思っていますので。
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> 「納得できようが納得できなかろうが、ルールはルール」とまで言う以上、そのルールは、文書化されていなければなりません。
これは前にも申しましたが、不文律の存在は、アメリカの文化なのでしょう。で、世界共通の野球ルール(野球規則と不文律)はアメリカMLBのものが基準です。文書化されているのが理想的でしょうけども、されていようがされていなかろうが、それが世界ルールである以上、従うのがスジでしょう。もちろん、文書化を求めていくのは非常に良いことだと思います。
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> 例えば、路上では、制限速度に違反してでも、周囲の車両のスピードに合わせるのが不文律ですが、警察に違反とされたら、不文律がと言っても通りません。道交法つまり、文書化された規則はそれくらい強く、また、文書化された規則だからこそそれくらい強いのです。
それは「文書化された規則」が強いんじゃなく、「法律」が強いんでしょう。違反した場合のペナルティが違い過ぎますよ。一生前科を背負っていく法律と、せいぜい退場か数試合の出場停止になる程度のスポーツのルールとでは、次元が違い過ぎて、例として相応しくないと思います。
審判が報復をしたということも証明できないんだなあ。
水島漫画は世界の非常識。