さらば愛しき人よ。
あれは2000年のことだったか。全日本プロレス三沢派が離脱。もう2度と三沢と川田が拳を交えることはないことが決まったあの日。俺は
GIANT GRAM 2000と、ドリームキャスト本体を買った。当時、秋山のファンで、彼だけはなんとか使えるように練習を繰り返した。その後、攻略本を買い、すべての隠しレスラーを出し、育成モードに精を出した。しかしCPU対CPUの対戦で、バックに回り返すのを永遠に繰り返す難易度最大のCPUに辟易し、ドリキャスはしばし休眠することとなる。
その後、社会人1年生となった俺は、『徹夜泊まり込み当たり前』のゲーム業界にプログラマとして潜り込んだ。覚悟はキまっていたので、徹夜も泊まり込みも厭わなかった。GW潰して隠しシナリオを入れたり、土曜日の深夜(実質日曜)の会社に、何も言ってないのに全員集まったプログラマ達。3日徹夜でシナリオを書き上げた社長に驚愕し、どんな疑問を投げても解決する凄まじい腕を持つ副社長兼スーパープログラマに尊敬と畏怖を覚えたあの頃。
そんな忘れもしない2001年11月。同期のプログラマと先輩デザイナと3人で、とある会社へ出向の仕事に行った。待っていたのは驚愕の緩い仕事場だった。進行は遅い、ルールは緩い、朝は来ない、物は上がらない、資料は無い、開発機材は来ない、何もかもが驚きの連続だった。出向先の方針で、期せずして、午後8時には帰宅するという生活。それまでは日曜の夜出勤〜土曜の昼退社が標準だったのに。
家に帰るのはフロと洗濯のためと割り切っていたので、半年以上も(プライベートで)ゲームをしていないことを思い出した。とはいえ、家に帰っても特にやりたいゲームはない。なんとなくヨドバシを回っていたら、1つのソフトが目についた。
プロ野球チームをつくろう!&あそぼう!(以下、つくあそ)
5800円〜6800円が定価(いや、ドリキャスは実質7800円だったか?)の時代に、2本入って定価3800円(実際は2980円だったと思う)。高校生になったあたりから野球への興味が薄れていた俺だったが、なんとなく買ってみた。
しかしつくあその『つくろう』は、いわゆるファミスタ系のアクションゲームとしての野球ゲームではなく、シミュレーションゲームとしての野球ゲームだった。試合のシーンで干渉できることは、『バント』『盗塁』『ウエスト』『打たせて取れ』などの指示だけで、それらが成功するかどうかは選手のパラメータ次第。また、試合を見ず、GM業に徹することもできる。新人・外国人探索、グッズやアイテムの作成、球場拡張に設備投資。年を追うごとに選手は成長し、歳を取れば衰えてゆく。育った選手の成績を見ては一喜一憂し、生え抜きのトレードに悩む。そんなゲームだ。
購入して以来、すっかりハマってしまい、そのブームは2005年まで続く。熱が下がったのは(当時の)最新作
やきゅつく3を買ったからという理由なのだから、狂いっぷりが笑える。
そんなやきゅつく3熱も2年(!)で冷める。結論から言うと、必勝法が判明してしまい、面白くなくなってしまったのだ。2007年、つくあそに戻ってきた。
結局、2001〜2005年にかけての4年、2007〜今現在の2年の計6年。プラス、GIANT GRAMをやっていた数ヶ月。誤差を含めても約6年、2000年のあのとき買ったドリキャスを使い続けてきた。独り暮らしをしていたころに、日の当たる場所に置いていたせいか、すっかり表面は黄色くなり、通常の設置方法ではうまく動いてくれなくなっていた。空気孔を塞がぬ方向に立てたり、テーブルの足に斜めに立てかけたり、裏返したり、裏返してペンを挟んで固定したりと、色々やった。最近では、保存の際は立てる、使用の際は裏返して、床と本体の間にペンを挟むことで安定して動いていた。
しかし先ほど、定期的な異音とともに、ディスクの回転が止まった。別のソフトに差し替えても、通常の設置方法にしても、立てても、裏返しても、冷やしても、ディスクは回転しなくなった。
このドリキャスを買って、まもなく10年目を迎えようかという今日この日。俺が買ったドリキャス本体は、静かにその生涯を終えた。
ありがとう俺のドリキャス。愛していたよ俺のドリキャス。もう、オマエに火を入れることはないだろう。できることなら神社かどこかで供養してあげたいが、流石に不燃ゴミではムリだろう。とはいえ、何の化粧っ気もない緑のゴミ袋にオマエを入れるのは忍びない。良ければ襖の奥で、その余生を過ごしてくれないか。あと3台ある中古ドリキャス達の勇姿を見守ってはくれないか。
言葉では言い尽くせない。さらば愛しき人よ。静かに眠ってくれ。