2010年01月18日

説明責任は説明者にある

■小沢の話ではない。


■俺の現状。

今、俺は正社員ではなく、助っ人要員としてプロジェクトに関わっている。おそらく今後もしばらくはこういう形でプロジェクトに関わっていく。だから、ムダないさかいは極力避けたく思っている。だから、できる限り黙っている。何か思うことがあっても基本的には黙っている。だが、今日の出来事はよっぽど口を挟もうかと思った。そのぐらいヒドかった。結局、口を挟んではいない。理由は後述する。


■今日の出来事。※多少、脚色してある※

Photoshop上では非常に綺麗なグラデーションの出ている画像が、実機に載せると非常に汚くなるということに、ディレクターが気付いた。プログラマに「何か気付く点があるかどうか」を訊いたところ、プログラマは「画像の形式が4444(よんよんよんよん)だから」と答える。意味が分からない風のディレクター。「4444とは何か?」と訊くとプログラマは、「1つの色につき4ビットしか使えない」と答える。ますます意味が分からない風のディレクター。「全然意味が分からない」と答え、更なる説明を促す。プログラマは「アルファが4ビット、他の色が12ビットの合計16ビットしか色が使えない」と答える。全く理解できないディレクター。「ちょっと××さん(デザイナー)のトコ行って説明してもらえます?」と促すと、プログラマは、「これで理解してもらえないんだったらもう説明のしようがない」と言い、説明もデザイナーの元へ行くことも拒否。デザイナーに直接説明して貰うことを諦めたディレクターは「要するにパレットが多すぎるってことですか?」と訊くと、プログラマは、「まぁそういうことです」と答え、さらに続ける。「ただ、どんな色でも使って良い訳ではない」と。それを聞いて疑問再燃のディレクター。「え?何色(なにいろ)が使えるんですか?というか、何色(なんしょく)使えるんですか?」と訊く。プログラマは、「16ビットカラーが使える」と答える。『カラー』とついて、ディレクターは不思議な顔をしながらも、デザイナーの元へ行った。

ほどなくして帰ってくる。「16ビットカラーって要するに何色(なんしょく)ですか?」 この質問に対してプログラマはこう答える。「電卓で計算してみてください」と言ってプログラマ、Vectorから関数電卓か何かのアプリに辿り着き、そのURLをディレクターのPCへ送る。ディレクターは、そのソフトをダウンロードし、動かす。電卓の説明の会話は全く覚えていないので省略するが、紆余曲折を経て、そのプログラマともう1人のプログラマに、俺だったら「小馬鹿にされてる」と感じる笑いを浴びながら、ようやく65536色だという『答え』に辿り着く。

で、ディレクター、ようやくデザイナーの元へ行き、答えを伝える。

カンの鋭いプログラマなら気付いたかもしれないが、多分、この問題はまだ解決していないと思う。再燃すると思う。理由は後述する。


■こうあるべきではないか?

俺の以前所属していた会社では、「相手に説明して理解を得られた無かったとき、それは説明者が悪い」という風潮があった。社長が企画屋で、細かいプログラム事情やグラフィック事情が理解できない人だった。「俺がスクリプト書くから、RPGツクール作って」「できるの?できないの?」「できるの?じゃあやって」「できないの?じゃ、どうだったらできる?」極めて真っ当で一般的な社会人であると思う。否定するなら対案を、対案も出せないような突拍子もないことなら、その旨を(社長に)理解できるように説明する、そういう技術が普通に要求される会社だった。

俺自身もそれは正しいと思い、相手の知識レベルに合わせて会話することを心がけていた。車に例えると分かるディレクターや、無双シリーズに例えると分かるデザイナーなど、相手に合わせて使い分けていた。ちょうど具体例を思い出したが、miracleさんあたりはサッカーに詳しいので、サッカーに例えてみたりしたこともあった。


■雑感。

今日の出来事は、正直、ハシから全部ツッコんでいっていたら半日ぐらいかかりそうだが、まぁなんだ。このプログラマは何なのかと思った。自分の知識の範囲ですべて答えて、理解を得られなかったら「理解できないアンタが悪い」と突っぱねる。これはダメだろう。人としてどうかは知らないが、少なくとも社会人としてはダメだ。微に入り細に入り、とまでは言わないが、理解を得られるよう手を変え品を変え説明するのが社会人のあるべき姿ではないかと思う。

このプログラマが、人に説明する際に、説明を受ける側の立場に立てないことは、ディレクターは認識しているらしい。俺も説明を受けながらそう感じていた。つーか初日にそう思った。それにしても今日のはヒドかった。説明が下手なのは今に始まった話ではないが、更にひどいなと思ったのは、このやりとりに対して口を挟む人物が誰1人いなかったことだ。「今日の出来事」で出てきた「もう1人のプログラマ」ってのも、社員ではない。某社から出向で来ている方だ。そう、社員で口を挟む人物は誰1人いないのだ。これには驚いた。いやもう驚かないか。初日からそうだったし。

俺からすると、このやりとりは最初から最後まですべてオカシイ。マトモなディレクターが可哀想だ。まぁ、自分の保身のために見捨てた俺が偉そうな口を叩くのもどうかと思うが。(後述)


■口を挟まなかった理由。

俺は、今回の仕事については、そのプログラマよりも知識が下である。事あるごとに質問する身分だ。もちろん、俺の質問への回答もだいたいこんなカンジなのであるが、それでも一人でウンウン唸るよりもヒントが見え隠れするので訊いた方が幾分かマシだ。彼は俺より年下だが、今回の件に関して俺が口出しし丁寧に説明することで、彼のチンケなプライドを粉微塵に粉砕して、その結果俺と彼の関係がギクシャクするのは困る。俺の質問への回答がより難解なものになるのは困る。そのような打算が働き、ディレクターを見捨てた。これは非難されても仕方のないことだ。


■再燃すると思う理由。

減色のくだりが説明されていないから。カンの良いデザイナーなら、説明しなくても分かるだろうけど、「16ビットカラーの意味が分からない」デザイナーがそこに気付くだろうか。


■俺だったら。

今日の出来事の一番最初の、ディレクターの質問(Photoshop上では非常に綺麗なグラデーションの出ている画像が、実機に載せると非常に汚くなるということについて「何か気付く点があるかどうか」)、こう答えるだろう。

「赤が16色、緑が16色、青が16色の、合計4096色しか使えませんよ」と。さらに付け加えて、「じゃあその『赤16色』ってのは具体的に何色(なにいろ)かと言うと、Photoshop上では赤要素って、0〜255の256色が使えますよね?使えるんですよ。んで、そのうち16色しか使えないんです。0〜7は0、8〜15は1、16〜23は2、と8色ごとに減色されて同じ色になってしまうんです。だから、例えばこの中央の白から薄い水色になっている部分。ここも、青256色のうちの、0〜23を使って綺麗なグラデーションを描いているのだとしたら、減色されて3色になってしまうんです。あ、『減色』って分かりますかね?大雑把に言うと『近い色を同じ色にしちゃうこと』なんですけど」と、実機に映った汚いグラデーションと、Photoshop上のグラデーションを見せながら説明するだろう。アルファの説明は難しいが、「ただし各色につき、16段階の半透明ができます。」ってトコだろうか。まぁ、こんなカンジで終わりだ。これでも(デザイナーが)理解できないなら、更に何か考える。


まぁ、そんなこんなで今日あったことを書いてみた。

少なくとも、出先にいる人のうち2人は俺のこのページの存在に気付いていても不思議ではない。1人には「ワイワイワールドパスワード解析作った」と言い、もう1人とはTwitterで相互フォローしている。見られると俺の立場は・・・・・・うーん、悪くなるかもしれませんね。まぁ、それはそれで仕方がない。

某社の方々、俺は基本的に余所者なので、御社の空気や社風に対して雑談レベルで色々なことを言っても、仕事場でアレコレ直接口出しはしません。もし俺のこのブログを見つけても、まぁ「小川(HN)という人物はこう思ってるんだな」と思って下さい。

見て下さったついでに、こういうのも俺の思ってることです。貴社に絶対的に足りないと私が思う点です。
http://twitter.com/ogawa_sankin/status/7787323344
http://twitter.com/ogawa_sankin/status/7787345213
もちろん、優先されるべきは貴社の方針ですし、俺自身、こういったことがきちんとできている訳ではありませんけどね・・・(;´Д`)
タグ:説明
posted by 小川 at 23:02| チラ裏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

主語・視点の転換

まず俺が最初に目にした記事はコレね。
「新年早々ひどいことに」母娘は前日ディズニーランドに… 大田区の3人死亡火災 - MSN産経ニュース

 新年の住宅街に爆音が響き、炎が3世代が暮らす家を飲み込んだ。東京都大田区で3日早朝に起きた住宅火災。火元となった桜木節子さん方は仲の良さが評判の家族だった。孫の夏海ちゃんは前日に東京ディズニーランドに行き、幸せな正月気分を味わったばかり。近所の人は「新年早々こんなことに」と絶句した。

 ディズニーランドに一緒に行ったのは母親の裕子さんと、保育園時代の同級生の女児らだった。同級生の祖父(72)は「楽しそうに出かけたのに、まさか翌日にこんなことになるとは」と驚いた様子。小学校の同級生の女児(9)は「皆から『夏海ちゃん』『なっちゃん』と慕われていた。木登りが得意で、2週間前も公園で一緒に遊んだばかり」と言葉を失った。

 近所の住民らによると、裕子さんは沖縄で結婚生活を送っていたが、夏海ちゃんの出産を機に実家に戻った。認知症の節子さんを介護しながら、夏海ちゃんを育て上げた。

 裕子さんの中学高校時代の同級生、玉山智子さん(48)は「穏やかだが、とてもしんの強い人だった」。家族ぐるみの付き合いをしていた近所の石田照代さん(72)は「仲の良い家族で、夏海ちゃんを宝物より大切にしていた。新年早々、こんなひどいことが起こるなんて…」とうつむいた。

日本人が書く日本語の文の特徴として有名なのは「受け身」「主語の喪失」があるのね。これは、小栗左多里&トニー・ラズロ著のダーリンの頭ン中で触れられているケースが分かりやすい。
この草花は、昔からあるとされていますが、「最近は見ない」とも言われており、早急な確認が求められております。
「あるとされている」
「言われている」
「求められている」
…誰に!?

人々なのか
学者なのか
あるいは会社や団体なのか
また主語は I なのか They なのか
これ見たとき、正直、違和感は感じなかったけど、確かに「誰に?」と言われてみれば明確な答えは出てこないわ。せいぜい「著者」か「俺(読者)以外の誰か」という曖昧な答えしか出てこない。


さて、俺はこれ以外にも、日本人が書く日本語の文の特徴として「主語の転換」「視点の転換」があると考える。「主語の転換」の例は、古い読者にはおなじみの、コレだ。
自閉症児者の「こころ」を自閉症児者自身が探し求める場ーー高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)への心理療法的接近からーー辻井正次

近年、自閉症(自閉性)をスペクトル(連続体)として捉えるべきだという見解が専門家レベルで主流となっていても、日常の臨床では自閉症に関してというと、幼児期のこだわり行動や多動などの症状が華やかな時期の早期療育や治療に関して、あるいは知的な遅れを伴う自閉症児の治療教育については多くが語られるが、知的な能力の高い(高機能の)自閉症について、特に彼らの青年期以降について関心がもたれるようになってきたのは近年になってからである。
一発で読めたら、アナタは凄い。(細かい固有名詞の意味は置いておいて、だ。)

この文章の、俺なりの読解は過去ログにあるので参照して。本題とは関係ないので省く。

結局、この文章がなぜ混乱するのかっつーと、「専門家レベルで主流となっていても、」までの主語は「専門家」、それ以降は「医者」が主語となっているから。句点が来る前に主語(視点)が変わるという、高度な日本語を駆使してある(皮肉)。高校の卒業を賭けた追試をお情けで通過した程度の俺には読み取ることのできない難文(皮肉)。

ということで、文中で主語(視点)が変わるというのは、非常に高度な文学技術だと思う(くどいですが皮肉)。

さて、それでは冒頭の産経新聞の記事を読み解いてみようか。
「新年早々ひどいことに」母娘は前日ディズニーランドに… 大田区の3人死亡火災 - MSN産経ニュース

 新年の住宅街に爆音が響き、炎が3世代が暮らす家を飲み込んだ。東京都大田区で3日早朝に起きた住宅火災。火元となった桜木節子さん方は仲の良さが評判の家族だった。孫の夏海ちゃんは前日に東京ディズニーランドに行き、幸せな正月気分を味わったばかり。近所の人は「新年早々こんなことに」と絶句した。

 ディズニーランドに一緒に行ったのは母親の裕子さんと、保育園時代の同級生の女児らだった。同級生の祖父(72)は「楽しそうに出かけたのに、まさか翌日にこんなことになるとは」と驚いた様子。小学校の同級生の女児(9)は「皆から『夏海ちゃん』『なっちゃん』と慕われていた。木登りが得意で、2週間前も公園で一緒に遊んだばかり」と言葉を失った。

 近所の住民らによると、裕子さんは沖縄で結婚生活を送っていたが、夏海ちゃんの出産を機に実家に戻った。認知症の節子さんを介護しながら、夏海ちゃんを育て上げた。

 裕子さんの中学高校時代の同級生、玉山智子さん(48)は「穏やかだが、とてもしんの強い人だった」。家族ぐるみの付き合いをしていた近所の石田照代さん(72)は「仲の良い家族で、夏海ちゃんを宝物より大切にしていた。新年早々、こんなひどいことが起こるなんて…」とうつむいた。

第1段落。登場人物は「節子さん」。「孫の夏海ちゃん」がいることから、「節子さん」は「夏海ちゃんの祖母」であることが分かるよね。登場人物は2人いるが、この段階で第3文目に「火元となった桜木節子さん方は」と初めて人物が出てきているので、普通に考えてこのあとも「節子さん」視点で読み進めることになるわけ。

ところが第2段落。「母親の裕子さん」と来る。「祖母である節子さんの母親」登場。ここで頭にハテナマーク。更に読み進めると「保育園時代の同級生の女児」と来る。意味が分からない。誰の「保育園時代の同級生」「の女児」だよ? そして次は「同級生の祖父」と来る。「女児の同級生の祖父にあたる人」なのか、「同級にあたる祖父」なのか。というか血縁関係の祖父の方? 節子さんの旦那? もうメチャクチャ。


もちろん、冷静に何度も読めば理解できるよ。

第2段落は、「夏海ちゃん」視点なのよね。「夏海ちゃんの母親の裕子さん」「夏海ちゃんと保育園時代からの同級生の女児」が登場人物として浮かんでくるやろ。そして、「夏海ちゃんと同級生の祖父(72)」が出てくるってわけ。

以上が真相。


なぁ、この文章ヒドくない?

第1段落の第3文の視点は「節子さん」。
第1段落の第4文の視点は「節子さんの孫の夏海ちゃん」。
第1段落の第5文の視点は「節子さん宅の近所の人」。
第2段落の第1文の視点は「夏海ちゃん(ただし省略されている)」。
第2段落の第2文の視点は「(夏海ちゃんの)同級生の祖父 (カッコ内は省略されている)」。
第2段落の第3文の視点は「(夏海ちゃんの)小学校の同級生の女児 (カッコ内省略されている)」。

第2段落の第1文で、省略されている主語「夏海ちゃん」を見出せなかった場合、それ以下の文章がチンプンカンプン元気よくになってしまう。

第2段落の主語が「夏海ちゃん」であることに気付かせるキーワードは、第1段落第4文にある「東京ディズニーランド」。「孫の夏海ちゃんは前日に東京ディズニーランドに行き」というくだりをしっかり覚えておかないと、第2段落の第1文の「ディズニーランドに一緒に行ったのは」と繋がらない。俺はこういう記事を目にしたとき、「登場人物」は気にするし、旅行して楽しい時間を味わったことは理解する。しかし「具体的にどこに行った」とかは意識の外だ。なぜならば、どこに行っていようとそれは結局「幸せが一転大惨事」に繋がる一部分でしかないから。「どんな幸せを味わっていたか」を具体的に覚えておく必要など無くない? ディズニーランドだろうが動物園だろうがゲームセンターだろうがどこでも良いし気にする必要無くない?


ということで、高校をお情けで卒業して底辺に近いゲームプログラマやってる俺にとって、産経新聞は、理解し難い高度な文章を使っていらっしゃる新聞、ということです。正直、朝日なんかのほうがよっぽど読みやすいよ。まぁ朝日は、文章は真っ当だが内容が破綻しているのでアレだが。産経は文章から破綻しているので読み辛いっつーことですわ。

あー、長文書いたら疲れた。
posted by 小川 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | チラ裏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

ただ神社的な答えが知りたい

ムラ社会で生きるなんてバカバカしい、と言うことはとても簡単だ。だが、俺は長男で、いずれは実家に戻る(親の面倒も見ねばなるまい)身、朱がムラ社会ならば赤くならざるを得ない。

俺個人が非常識者としてバカにされる分には諦めもつくが、俺のせいで俺の家族や親までもがバカにされるのは我慢ならん。我慢ならんと言っても暴力を揮うわけにも権力を行使するわけにもいかない(そんな権力ないしな)。ましては俺のせいで家族までもが村八分になることなどとても我慢できない。俺は地元が大好きで、ご近所さんも大好きで、そことの関係をわざわざ壊したいとは思わない。ご近所の皆さんの多くは顔見知りだし。もちろん過干渉などはしないが、いわゆる田舎の普通のご近所づきあい程度は維持したい。


六曜という、どうやら江戸時代ぐらいからの歴史しかないものがある。明治だか昭和だかのタイミングで、政府は「そんな迷信を信用してはならん」というようにふれ回ったようだが、結局現代まで生き残っている。有名なのは「結婚式は大安に」「友引に葬式はしない」などだ。

んで、一般的に・・・といっても俺の記憶だが、神社仏閣に参る際には「仏滅・赤口は避ける」というのがある。某神社のHP内でも同様の記述があったので、一部では市民権を得ているのであろう。少なくとも小川家の実家では市民権を得ている。


では問題。「初詣」と「仏滅・赤口は避ける」は、どちらが優先なのだろうか。


教えてGoo!とかでは「そんなん気にするな」「あなたの気持ち次第」などという答えがあったが、そういう答えは不要。Twitterでも長らく呟いていたし、グーグル先生にも伺ったが、俺が欲しい答えは出てこなかった。

俺が欲しい答えとは何か。例えば俺が「はさみ持ってる?」と聞いたら、「はい」か「いいえ」で答えていただければ良い。日本人らしく空気を読んで、俺が何も言わないのにはさみを出す、などといったことは必要ない。(プログラマ脳・アスペ脳の話は割愛)

俺が欲しい答えとは「初詣優先」「仏滅赤口は避ける優先」「どちらも間違いでは正しくはこうこうよ」のいずれか。

ちなみに、俺は、こうかな、と予想した
if( 新年初参りか? )
{
 行け
}
else if( 今日は仏滅or赤口か? )
{
 避けれ
}
else
{
 好きにせい
}
また、@kitamurakenji氏は、以下ではないかと予想された。
if( 新年初参りか? )
{
 if( 今日は仏滅or赤口か? )
 {
  避けれ
 }
 else
 {
  行け
 }
}
else
{
 好きにせい
}
かな

誰か明確な答えとその根拠となる一次ソース持っていませんか。



追記。
念のため書いておく。俺自身は、このようなことに興味は無い。もっと言ってしまうと神社仏閣詣ですら興味がない。事実、独身時代は初詣どころか例年例年いかなかった。例外を挙げると京都時代。このときは行った。「俺が行かないせいで親が悪く言われる可能性」を消すために。もちろん、京都拉致組の中にそんな人はいないが、まぁ参拝で俺の気持ちが落ち着くなら簡単なモンだ。閑話休題。初詣に行くにせよ、あるいはしばらく経ってから行くにせよ、根拠が欲しい。「仏滅赤口は避ける」と「初詣」とを両立させるorさせない神社側の根拠が。答えの通りに実践するかどうかはまた別の話。

今年、俺が詣でようと思っているのは、家族がいるからだ。俺自身にバチがあたる分には一向に構わないが、家族まで巻き込まれるのは困る。それを避けるために詣でたいと思う。しかしながら、六曜的に今日は「先負」である。俺の最寄りの神社的に、先負の日はあまりよろしくない

さて俺は、俺の不義理に家族が巻き込まれないようにするために、「先負」を重視すべきなのか、それとも「初詣」を重視すべきなのか。


どなたか答えを知りませんか。

重ねて申し上げるが「気にするな」「好きにせい」という答えは受け付けていないのでそのような回答は誠に勝手ながらご遠慮願いたい。
タグ:初詣 六曜 神社
posted by 小川 at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | チラ裏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする